今月のメッセージ
産土 の神様のこと (二十四)
――大地への心得を説く
日垣宮主
宮主は今、産土の神へ人が心と魂と吾が身を結ぶ為に
産魂鈴
と名付けた
土鈴
(白色)を用い、道の友垣にも御頒けしている。
土で造った一個の鈴を鳴らして産土の神を招ぶのであるが此の鈴が生まれる迄 長い長い時間を必要とした。
産土と書いてウブスナと読む。
ウブスナを産土と書く。
誰が此の様な文字を考えたのか私は知らない。
けれど間違い無く此の文字は此の神の御存在を表している。
全國に産土神社はあるのだが、何処にも産土神社 と社号を掲げた神社が無いのは何故だろうか。
八幡神社があり天祖神社がありその他澤山たくさん神社があっても 産土神社 と記す社号は無い。
中に、ウブシナ神社の社号を拝見したことはあってもやはり産土では無かった。
では何故然うなんだろうと思った。
産土だってウブスナだって人が付けた様だが本当は神々が表現なあった結果と思う。
ではウブスナと表現なさる其の神様の世界って何処に在るのだろうか。
私達は自分の事を人間と呼んでいるけれど目をつむって、人間 人間 と言ってみても人間なんて何処にもありはしないのに氣がつく。
人が澤山たくさん居て一緒に暮らしていると、その人と人の間の流れがあって其の流れが息をしている。
そこに人間社会がある。
土がある、土が集まって大地になる、大地が集まって地球になっている。
地球の中の何処かに地球の魂があって其の魂が働くと川になったり山になったり樹木・岩石になるのだろうか。
でも、世の中、不思議な事に其の山も樹木も岩石も所有者が居て人間の所有物になっている。
地球全体迄人間と言う生きものの所有物みたいになっている。
その様な地球の中で、此の大地に大地の精霊が居る、大地の精霊神界がある。
そして大地の精霊のエネルギーが働くと其処に土が生まれる、水が生まれる、岩石が生まれると知った。
生まれ続け、生み続ける、大地の精霊界が實は 産土神界 であるのだ。
産土の精霊界が躍動なさる神力範圍を拝見すると、地表から地中へ向けて三米入って行く世界が産土の精霊界であった。
地下三米以降は人間の所有權から外れていることに氣がついた。
此のことが現實に感覚された時 私は 人間と神霊の立場から大地に対する礼節の程が如何にあるべきかを思った。
井戸を掘る時地下十米から百米に及ぶ掘り込みをするだろう、その時、人は大地に対して如何なる祭祀をするべきなのかと思う。
此処に井戸掘りの祭祀作法が無ければならないと知る。
家屋を建立する時の祭祀があり其の他の土木事業があるなら必ず其の場に
相応
しい祭祀があり、その祭祀を欠く時、人は大地の精霊への欠礼をしているので、時には大きな災厄を召く結果を見る。
そして、その折々の祭祀に産土の神々への礼節を如何にすべきかがあるのだ。
その礼節の中に 産魂鈴 の鳴り音が祈り人と産土の神を結んでくださる。
鈴の鳴らし方にも作法があるのは言う迄もないことである。
二〇〇八年八月二日