今月のメッセージ
産土 の神様のこと (二十五)
日垣宮主
「ウブスナ」と言う呼びかけは日本民族だけが許された呼称である。
全国に産土の神社があるのだが其の神社にお祀りする神々の神名はウブスナとお呼びしない。
八幡宮と呼んだり天祖神社と呼んだりしていると前述したのだが では 其の八幡様や天祖様が如何なる姿をお見せくださるかを知る者が無い。
不思議の国 日本 である。
仏教だってキリスト教だって皆んな釈迦やキリストが実在しているのに神道には実在する神々が無いのだ。
八幡様が応神天皇だと言う。
天祖様が天照らす大御神だと言う。
けれど それは八幡様と言う神界があってその神界へ応神天皇を神様にしてお祀りしたのであって本当の八幡様を知る人は無い。
天照らす大御神だって太陽の神様と信仰されていることと 天皇の祖先神であると言う伝えだけで本当のところ、男神か女神かも判らない。
宮主は初めて伊勢神宮へ行った時、宇治橋を渡ろうとして合掌したら、目の前に男神の顔が見えた体験がある。
ともあれ日本国神社の神々は凡そのところ神の姿を知らない。
知らないけれど、此の神を拝む日本人の魂の中には間違いなく神様がおいであそばす。
毎年、宮主は伊勢湾の中にある「神島」へ行って祭祀をしてきた。
最初はアメリカのグランドキャニオンへ行く時、京都の豊国神社の神々に向けて、私の祭祀へ神力をお頒けくださいと頼んだところ、豊国神社の眷族神では宮主の祭祀を援けられないので伊勢湾内の神島の神々をお連れ下さいと告げられ、神島の祭祀が始まった。
あれから幾年たった事だろう。
今年の神島まつりに於いて初めての告げ言があった。
「鏡」の神こそ神島の神であると言う。
祭祀を重ね 時 が流れなければ開くことの無い神の門があったのだ。
伊勢の神宮へ八咫の鏡が祀られる。
五十鈴川の源流に太古の日本民族であるアイヌ人が祭祀を捧げてきた聖地があった。
其処に日の神を映す「水鏡」の里があった。
神武天皇東征で此の地を追われた鏡の民が神島へ齋き祀った鏡の神座が此の島に秘められてきた。
産土をウブスナと読む。
ウブスナの日本語は全ての流れの中から絶対神力・絶対神魂を撰り別ける生命の営みの事である、その生命体こそは 神の鏡 であった。これが真実ウブスナ様と知る。
二〇〇八年八月三十日