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今月のメッセージ


産土 ( うぶすな ) の神様のこと (二十六)

日垣宮主


◎人と神の違い

 あなたは産土の神に逢ったことがありますかと問われて、ハイ私は産土様にお会いしましたとお答えのできる人は居ない。
あなたは神様に会ったことがありますかと尋ねられて、会いましたと言える人も無い。
中には、確かに夢の中でお逢いしましたと言う者も居るだろう けれど そのお方は神でも無ければ産土様でも無いと申しあげる。
宮主は逢ったことも会ったことも無い神々のことを何うして説明できるのだとお尋ねいただきたい。
その答えを記そう。

 人に心があるけれど心は目に見えないだろう、人に霊魂があっても霊魂は目に見えない。
見えない心を、人は自己の心で感覚できる。
見えない霊魂を、人は自己の霊魂で感覚できよう。
人を生かしている 生命 があって此の生命は自分自身、本当に在るのか無いのかを感覚できない。
でも、やはり生命は生命でなければ感知できない道理がある。
何故、斯の様な話をするのかと言えば、人と神の相違を確認して貰いたいからである。
宮主が初めて神に触れたのは、鹿島神宮へ毎年の断食と禊の修行を七日間ずつ、二十ヶ年続けた結果、神宮の奥の宮の前で礼拝した時のことで、無心で立つ私が金色の稲妻の様な光波の中へ置かれた その時 是れが神とも思わず、私自身も消えていた。
後から、吾れに帰って、今の光は神と知り其の時の私も全身が同じ神光になっていたと知った。
それ以後、私は神と語り合い森羅万象と必要に応じて語り合う様になったのであるが、産土の神も其の身体は光波で構成することを知っている。
そして、光波の神は人間を御覧になる時 光 で見る。
光は光しか見えない。
その光で人間を見たら人体が見える。
見える人体は 光波人間 である。
神と同じ光波体になって人間が見える。
そして、人の思いが光波になり人の祈りが光波になって見えるのだが、人と神では光波の波長が違っているから肉体を持つ人間の想念が神々の想念に結びつかないことになる。

 人が生まれて死ぬ。
死ねば霊体化する者があって産土の神に此の霊体がお会いする。
此の霊体人間なら肉体人間の言葉が解るし祈りも解る。
そこで、亡くなった人間の中でも霊魂の清らかな者達が産土神の 眷族 ( けんぞく ) の仲間に組み入れられることに成る。
産土様の神界に私達の先祖の霊魂が霊体でお働き遊ばすことを知っていただきたい。
亡くなった道友達が死後の世界で、富士山や 愛鷹 ( あしたか ) 山へ行ったり、中には四国の地球新生神宮へ行っている、けれど、私は其の友に何一つ依頼したことが無い。
只、折々の祭祀や葬礼に当ってお手伝いして下さることがあるので其の時々、祝詞の中での御挨拶は欠かしたことは無い。
人が神に祈る。
神がその祈りをお採りあそばすか、どうかは此の間の 霊影 ( たまかげ ) ふり 如何 ( いかん ) にあることを知っていただきたい。

二〇〇八年九月二十八日


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