今月のメッセージ
民族と血汐の話
日垣宮主
前回迄 産土の神のお話をお届け致しました。
三十一文字で和歌が生まれます。
三十一回の産土の神のお話が終りますと、次に生まれるお話は「民族と血汐のお話」であります。
地球上に数えきれぬほどの民族が存在いたします。
私に、民族と称する言葉から来る意味は伝わりますが本当のところ、如何なる存在に対して民族の区分けを致しますか、区別を致しますかと尋ねられますと、是れを民族と申しますと言う答えが無いのです。
昔から辞典を調べると、同じ文化を共有し同じ生活様式の中で生きる共同体のことを民族と申しますと言う意味を記している。
それが民族であるかも知れない けれど 私の中では
納得
できないのです。
日本民族と申します、漢民族と言います、ゲルマン民族と申します、その民族の違いは何処にあるのですか。
改めてお考えください。
中國へ参りました。
私は漢民族ですと言って其の胸に「玄」と言う文字を彫むペンダント形式の 徽章 をお付けになった学者にお会いしたことがある。
老子と云う神仙学の先生でありましたが、成るほど此の様な姿勢をお持ちの方が純粋の漢民族の誇り高きお方であるのかと感じ入った次第である。
次に泰安市へ参りまして市長にお会いした時のこと、此の御方は 回族 で中國に於ける工学博士(斯様に記憶する)でありました。
前にお会いした学者と此の時の市長の全身から香おり出す姿勢は異質のものであった。
イタリー國の人・フランスの人・エジプトの人・ミャンマーの人・ギリシャの人・等々にお逢いして其の姿態に触れます、その時、その人々から匂い立つ香おりがあるのです。
一人ひとり違う匂いです。
食べ物の匂いなどでは無い、特殊の香おりは言うなれば 氣色の香おり・霊匂・と表現できるのかもしれない。
その様な歩みをつづけてきた宮主が 今 産土の神の話に続く民族の話は 必然的に 遠いとおい昔、此の世に誕生した先祖から今に到る人々の中を一貫して流れ続ける 血脈 の神秘を尋ねることになると思う
。
二〇〇九年四月一日