今月のメッセージ
仏と神と人
日垣宮主
ある人から尋ねられた――お寺に本尊があるのですが神社に本尊がございますか? と。
その意味は
お寺に参りますと必ず仏像が置いてありますが神社に神像は無いのですかと言うことの様である。
成るほど、神社も寺も全国に広がっていて確かに仏像を置くのは寺院で殆どの神社に神像はありません。
けれど、中には八幡大神の神像を置いたり天照大神の神像を置く神社があることは有る。
然しながら
大切なことは日本人の心に
像
を取った神が存在しないと知ることであります。
誰から教えられた訳でも無いのに日本人の心に、神とは無形の存在であると言う感覚がある。
夢の中に衣冠束帯をお着けになった神霊がお出坐しになりましたと言う者が居る。
でも、それは其の人の脳波に感応する神霊でありますから 本当は その人の脳波であって神様ですとは言えません。
日本人に元来 宗教 は無い様に思います。
では何があるのでしょうか。
人間の 心 が神様を想います。
人間の 心 が仏様を想います。
その時、その人が心に思う神様も仏様も本当は其の人の中に秘められた 心の光 なのです。
心の光を表現致しますと或る人は仏像を拝みます、或る人は神像を?と思うのですが神様は見えないのです。
何故見えませんか。
神様は 無限 と言う世界なのです。
無限が目に映りますか 映りません。
映りませんが無限と言う光は人を包みますし、又、人の中へお入りくださいます。
有限である人間につながる寺に祀る仏像。
無限である神様につながる神社に祀る神霊。
その違いを知りましょう。
二〇〇九年十二月一日