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今月のメッセージ


節分と豆のお話

日垣宮主


 節分に自分の年だけ豆を食べると言うのは本当ですか、と質問された。

 何故、節分に豆をまくのですか、と質問された。

 一年の始まりは一月一日なのか、節分の二月三日なのか、と質問された。

 みんな節分に関わるお尋ねなのでまとめてお答えする。

    ※     ※     ※

 一年と言う年があって歳神がおいであそばす。
人は誕生した時新生児で口もきかず歩行もできない。
歳神様は人間と違うので神界と言う不可視光線の世界から一度に可視光線になって出現なさる。
だから一度に世界中を新年と言う色彩に染めてしまう。
その歳神が春夏秋冬の四季に分けて息づきを変化させなさる。
春の息 夏の息 秋の息 冬の息 と四息を分ける息づきで此の世を生命の営みの中に置きなさる。
その歳神が一年の息づき初めが春の息で、春の息づき始めの日を立春と申しあげる。
立春の前日迄が冬の息づきをする 歳神 ( としがみ ) 様が新しい春風に息づきを変化させる其の別れ目の事を節の分かれ目で節分と言う。
歳神様にとって立春は初春であるから新春である。

 話を初めに戻すと節分、新春を迎える人が吾が身を保たせて下さった一ヶ年に感謝する。
一年一年年令を重ねるところの年神の恵みがある。
六〇歳になると還暦の祝いをする。
何故還暦と言うだろうか。
人の顔に人の年を一歳から六〇歳迄数えてゆく 年運 が人相になって表れていく一歳が髪の生え際、そして鼻の付け根のところが二〇歳と順番が六〇歳まで続き、六十一歳になると再び一歳の場から数え始めますので暦が一歳に還る意味である。
六〇が一になる様に年令が百歳になっても百歳を一粒の豆に集められる世界がある。
そこで年の数だけ目の前にならべて手を合わせ人生に祈りを捧げ、私の初春を此の一粒にお祝いさせて戴きますと言ってお召し上りください。
これが年の数だけ豆を食べる本当の意味と心得る。
豆撒きの意味は次にゆずる事にしたい。

二〇一〇年二月一日


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