今月のメッセージ
私と祝詞の話
日垣宮主
私が小学校一年生の時、登校する途中に神社があって、神様にお祈りすることを初めて知りました。
母が申します。
“喜一さん、お姉さんが風邪を引いて寝ているから学校へ行く途中で神様にお祈りして行きなさい ハイッ 是れを神様の前にあるサイセン箱へ入れるのですよ”
斯う言って一銭銅貨を渡されました。
参道を歩いて社前に立って手を合わせました。
お母さんの言った言葉を思い出しながら黙ってお参りしました。
小学校三年生の時、私の家は道路に面し、本屋をしておりました。
或る日家の前に山伏姿の男が立って「のりと」を奏げ始めました。
聞いている私の中で其の声が美しい音楽になって鳴り出したのです。
今迄聞いたことの無い音楽です。
それから私の中でずーッと此の祝詞が鳴りつづきました。
ですから私の神道は私にとって祝詞と言う神道になったのです。
今迄
沢山沢山、生と死の人生祝詞を奏げ続けて参りました。
私の祝詞は私の声をあげておりますが本当は祝詞様が御自身で奏上なさるのです。
古事記神代の巻を読んで、神々と一緒になって古事記の解釈をしておりますと、そのうちに 古事記は神様がお奏げなさる祝詞であると気がつきました。
天児屋命
と申しあげる神様がおります。
祝詞の神です。
此の神様の祝詞は本当に一音一音が 創造力の粒子 になります、無数の無限の粒子波動が鳴り出すのです。
天児屋命の一音の中に、
思兼
の神が入ります、
太玉
の神が入ります、
宇受売
の神が入ります、そして祝詞の交響楽が鳴り出します。
日垣宮主が、スイス イタリー フランス イギリス アメリカ 中国 ミャンマー 等の国々で祭祀をします 祝詞を奏げます。
祝詞が世界を変えます、民族を変えます。
祝詞に永遠の栄光あれかしと祈ります。
2011年8月1日