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今月のメッセージ


神前参拝の作法の話 その一 初詣のこと

日垣宮主



 人と人が互ひに挨拶する時と神霊へ向けての挨拶では大きな違ひがある。
 人は互ひに相手を見ながら言葉を交し心を通はせます。
 神霊は目に見へませんから、見へない神様への御挨拶は人間の側でも目に見へない精心 ( こころ ) の波動で致します。
 では黙って、心の中で神様を念じたら神様がお答へ下さるでしょうか。

 人の想念で神様を思うだけで挨拶になるなら簡単なことでありますが、此の時、想念を起す人間の心の波動が全部神様に伝わったとしたら大変です。
 神様へ一度に千人の人々の祈りが届いたとしたら其の祈りの精心波動で神様は神氣を混乱させないでしょうか。

 確かに人の思ひは神へ通じます、格別の事をしなくても神を思へば思うだけで神に人の思ひは通じます。
 それなら一度に千人の思ひが通じた時の神様はどうなさいますか。

 此処に産土の神が居て一万人の氏子達が一度にお祈りしたと致します。
 その時の産土様を一本の神木と致しましょう。
 その神木に一万個の実が付いておりましてお祈りする氏子達の祈り一つひとつと神木の実が結ぶのです。
 神様の世界に 天宇受売神 ( あめうずめのかみ )  と申し上げる神が居りまして、此の神は此の神へ向った人の想念を一瞬のうちに吸収なさいます。そしてその祈り想念に対する返答が瞬時の間に発生致しますので、神木の実の中には此の宇受売神の神力が全部入れられて居ります。
 ですから
 八心思兼 ( やごころおもひかね ) 神と申しまして心波を自在に生み出す神と天宇受売神は常に其の心氣を交流させて居ります。

 不思議な神々の変幻相 ( へんげそう ) の一つでございます。
 それなら、人は神々に対して自己の希望を述べる想念を起すだけで皆んなお蔭を頂けるのでしょうか。
 お正月の初詣に数万人の人が次から次へ合掌して一年の平安を祈る姿は全部神様へ通ってお蔭を頂戴できるのですか。
 不当に是の様な仕組みなら神社へ差し上げるお賽銭は、お蔭と言う実を分けて頂く代価と云う訳であります。
 人と神の取り引きみたいになるのですが、日本の神々は元来、国民と神の間に特別の関係をお作りになって居ますので一年一度のお正月と云うお祝ひ神波が此の様な相互交流をお許しあそばす様であります。

 然し乍ら限り無く尊貴で限り無く厳格な存在であるのが此の国の神霊でございます。
 国民の一人ひとりが元来神の子として創造され、天孫民族と申し上げる至高の人格を内に秘めるのが私達日本民族でありますから、眞實日の本の国人 ( くにびと ) 相応 ( ふさわ ) しい生き方を要求されているのです。
 その至高人格への道が日本神道でございまして、日垣神道と敢へて宮主が伝へる( あゆ ) ( ) に於ける参拝の礼拝は限り無く厳しく、そして無限の慈愛神波でございますので、次回は、その礼儀作法を述べましょう。

2013年2月1日

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